女風に来るのは“特別な人”じゃない──ごく普通の女性たちが涙をこぼす理由

女風に来るのは特別な人じゃない 初めての女風
女風に来るのは特別な人じゃない

【はじめに】

「女性用風俗」や「女風」と聞いて、どんな人が利用していると思いますか?

きっと多くの人が、「性に積極的な人」「大胆な人」「ちょっと特別な世界の人」──そんなイメージを持つかもしれません。

でも、僕がセラピストとして実際にお会いしてきたのは、
“ごく普通”の、誰かの妻であり母であり、そして日常を懸命に生きている女性たちでした。

この記事では、なぜ「特別じゃない人たち」が女風を訪れるのか、
彼女たちがどんな気持ちで扉を開けたのか。

そして、そこに込められていた“誰にも言えなかった想い”を、実体験をもとにお話しします。

【1|寂しさを、誰にも言えなかった】

「誰かに触れてもらったの、何年ぶりだろう」

そう呟いた女性の手は、少し震えていました。

彼女は、家庭を守り、子育てに追われ、仕事をこなしながら、
“自分の感情”を置き去りにしていたといいます。

家族の前ではいつも明るく振る舞い、友人の前では冗談を交えながら笑う。
だけど、夜ひとりになると、心に穴が空いているような感覚に襲われる──。

その寂しさを、誰かに伝えたくても、
「贅沢な悩みだと思われるかもしれない」
「家庭があるのに、何を言ってるんだと思われたらどうしよう」

そんな気持ちが先に立ち、何年も言葉にできなかったそうです。

施術中、ただ手を握りながら聞いた話の中に、
彼女の“本当の姿”が見えた気がしました。

女風は、寂しさを埋める場所ではなく、
「寂しいと感じていい」と、そっと背中を押してくれる場所なのかもしれません。

【2|“女性としての自分”が遠くなっていた】

「自分を女として見る感覚が、ずっとどこかに置いてきたままで…」

そんな言葉を残された方もいらっしゃいました。

出産、育児、仕事、介護──
人のために動く時間が増えるほど、「自分自身を愛すること」が後回しになっていく。

鏡に映る自分を見ても、どこか“生活の延長にある姿”で、
ときめきや色気を感じる瞬間がなくなってしまった──
そう感じる女性は、少なくありません。

女風を訪れた女性の中には、
「誰かに“綺麗だね”と言われるだけで、泣きたくなるほど嬉しかった」と話してくれた方もいます。

それは、性的な意味だけではなく、
“女性であることを大切に扱ってもらえた”という、自己肯定感の回復体験。

自分を大切にできなくなったとき、
誰かに「あなたのままで、愛されていい」と示されることが、
どれだけ大きな意味を持つか──
僕は何度も、その奇跡のような瞬間を見てきました。

【3|性のことを、安心して話せる場所がなかった】

「これって普通なんでしょうか…?」

女風では、そうやって性の悩みをぽつりと話される方がとても多くいます。

誰にも聞けなかったこと。
パートナーには言いづらいこと。
ネットには情報があるけれど、心までは届かないこと。

「性に興味があるけど、自信がない」
「感じにくい自分がおかしいのではと思っている」

そんな気持ちを抱えたまま、
“何年も答えを探していた”という女性が、とても多くいらっしゃいます。

女風は、そうした悩みを
正解も不正解もないまま、“ただ受け止めてもらえる場所”です。

触れることや、話すこと、
そのすべてが「気持ちよくなるため」ではなく、
「自分を知るため」の時間になるよう、心を込めて施術をしています。

【4|“特別じゃない自分”だからこそ、来ていい場所】

女風を利用するのは、決して「性に積極的な人」でも、「割り切っている人」でもありません。

実際は、ごく普通の主婦、会社員、介護中の方、子育て中のママ。
みんな、誰かの役割を一生懸命に生きている女性たちばかりです。

だからこそ、心がふと疲れたとき、
「誰かに安心して寄りかかりたい」と思うのは、自然なことなんです。

女風は、“何かをしてもらう”場所ではなく、
“何もがんばらなくていい”場所。

「こんな自分でも、来てよかった」
そう言って帰られる姿を、何度も見てきました。

【さいごに】

この記事のタイトル、「女風に来るのは“特別な人”じゃない」という言葉には、
僕自身の現場での実感と、たくさんの女性の声が詰まっています。

あなたが、もし今「自分には関係ない」と思っているなら──
でも、ほんの少しでも気になる気持ちがあるなら、

それは、あなたの中の「自分を大切にしたい」というサインかもしれません。

その気持ちを、どうか置き去りにせず、
そっと寄り添ってみてください。

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